32歳になる人の日記

株。駐在員苦労話。外資企業への転職、ままならない子供時代の思い出

マネージャーとスタッフ

ローカルスタッフ同士の書類のやり取りのみで足掛け長年事業部を上げて取り組んだA社の新規案件が取れる状況だった。

この最終の詰めを任せたタイ営業担当(Mon-san,)は社歴12年。なんの心配もしていなかった。

午後3時 客先から突然怒りの電話がかかってくる

午後2件目の顧客訪問の直前。突然怒り狂っているA社日本人から電話がかかってくる。

事情を聴くにどうやらMon-san,が午後1時にアポを取っていたのに時間通りに来ず、2時間たった今もいまだに連絡してこないらしいのだ。

状況を確認する旨伝えて電話を切りすぐにこれから訪問予定の顧客に遅れると伝え、Mon-san,に電話した。

ふてくされた声で電話に出た彼はどうやら非常に軽微な事故を起こしたらしく車が破損して顧客に行けなかったらしい。

Mon-san,はケガもしておらず、けが人もなく、公共物の破損などもないとのことで安心したとともに、とりあえず顧客にいますぐに連絡し事情を説明するように指示した。

会社に帰ってきたMon-san,は悪びれもせずにむしろ事故を起こさせたこの仕事について悪態をついた。僕はびっくりした。

あまりに日本人とメンタルが違う。気づいたら僕は泣いていた。冷静でいられなかった。

その時僕は27歳でタイにManagerとして駐在して1年目だった。

その時の僕には40歳を超える年上のスタッフが仕事で顧客を怒らせたことについて謝罪の気持ちを持たずに、むしろ悪態をつく気持ちが理解できず、

そしてこの仕事に対する自分の気持ちが彼とあまりにも乖離していて、どのように説明したらいいかわからなかった。

 

この時僕はどうするべきだったか。

愚問だと思う。

僕はこの時、まずは無事に帰ってきたMon-san,を労い、この顧客に対する社員の努力と気持ちを説明し、その見方からいくとMon-san,の今日の行動は不十分だったと指摘するべきだった。

でもこれは机上の空論だ。部下への指導というものはまずは普段の信頼関係がないとできない。

普段の信頼関係というものは普段のコミュニケーションを介して構築される。

ではこのころの僕はどうだったかというと、Managerのくせに一人でいることが好きだったし(今でもそうだ)、みんなの輪の中に入るのは少し苦手だった。

Manager職1年目。日本ではStaffとしては非常に優秀だったと思う。社内で仲のいい同僚はたくさんいたし、コミュニケーションに困ることはなかった。

だけどタイに来て、Managerだし、年下だし。言語は違うし。僕は少し孤立していた。みんなの名前も憶えられていなかった。

そんな中部下を叱ることは難しい。僕は僕がうまくできないことに気づいた。

2017年1月。タイに来て4か月のことだった。

 

ここから僕がいままでの3年間でした苦労話と1ミリほど成長した話をしようと思う。