32歳になる人の日記

株。駐在員苦労話。外資企業への転職、ままならない子供時代の思い出

弊社のダメなところ

私がたまに胃が痛くなる内容として会社の体制があまりにも整わなさ過ぎて、自分の仕事ではないと思しき問題に関してもなぜか自分で対処しなければならないことである。これは社内の業務マニュアルによる仕事の仕分けがあまり明確ではなく、そして海外拠点になるともっとわけがわからないからである。

 

具体的な話をしよう。

ある大手自動車会社から契約書締結の依頼を受けている。その内容は非常に問題の多い内容で、到底受け入れようのない内容である。通常の会社であれば契約書を受け取ったら法務部門や管理部門に投げて、その関係部門が受け入れ可能かを判断し、不可能な場合はとの対案をコメント付きで提出する。しかし弊社の場合は弊社の営業スタッフが受け入れ可能かどうかを判断し本社の常務取締役に稟議を通すのだ。こんなバカなことがあるか!?と思う。常務取締役が5000を超える弊社の顧客から受け取った全契約書を検討なんてできるはずがないのである。当然、こちらから出すメールの内容は2行ほどになる。いかに内容を凝縮し、どの部分を確認してほしいのか、通したい理由まで明記する必要がある。

もし法務部門が弊社にないのであればしょうがない。しかしある。あるのになぜこんなことを営業がしなければならないのか。法務部門からは非常にタフな内容の文章が送られてくる。「xx条~++条は営業部門で確認してください。ーー条~**条は品証に投げてください。・・条は常務決済です。」というだけのメールが返ってくる。なんと。法務部門は何を仕事としているのか。アドバイザーなのかな。

気持ちはわかる。法務部門の担当者の気持ちはわかる。彼らは会社の方針が明確でないために基本的には要件を受け入れることが出来ないのだ。「OK営業部門のパッションは分かった。今回は顧客の要望を受け入れる形で契約書を結ぼうではないか」法務部門がこの判断を下し、常務にまで決済を回したところで常務からNoと言われてしまうともう法務部門はもう一度書類を突き返すしかないのだ。これは飛んだ時間のロスであるなあ。だから法務部門は「なら最初から常務と営業で話してよ」ということになっているのだ。結局誰が悪いって法務部門を育ててこなかった弊社が悪いゴミくず。

そういったところから次のような問題も起こる。要件が受け入れられない場合は対案を出す必要があるが、こちらの契約書は英語である。法務部門は私が作った日本語訳の方に添削してきやがるので、また今度は私が添削された日本語の翻訳文を参考に英語の契約書の原本を編集する。その翻訳があっているかどうかなどは誰も確認しない。いいね。チャレンジングだね。いっそのことこっちで勝手にサインしてやろうかと思う。しかし業務マニュアルには契約書をいちいち本社に確認するようになっているのだ。でもなあこのやりとりやっていると気が狂うと思うよ。だって英語にいちいちこちらで変換するんだからね。わーい。

うちの会社ってなんでこんなにComplicatedなのかな。なぜってそりゃあ弊社は外から来た人たちが少ないのだ。だから「うちの会社ではこれが普通なんです」が成り立つんだよね。それがどんなに不合理なやり方でもどんなに不愉快でもだ。いやだったら俺みたいに辞めるから。自然とゴミしか残らないんだ。

 

 

 

日本のコンビニ最強すぎる説

この間、弊社のスタッフ二人を連れて日本に出張という名の慰安旅行に連れて行った。本社工場の見学と、本社スタッフとの日ごろの課題の話し合いが仕事の内容。詰め込んだら1日で終わりそうなトピックスだがそこは慰安旅行の面もあるので3泊4日の大出張となった。

宿泊したのは比較的利便性のある駅直結のホテル。1泊2万円もすることうちの安月給スタッフたちは驚いた。あんなに狭い部屋でなんで高いんだ!

 

まあともあれいろいろなタスクをこなし、最終日みんなで飛行機を待ちながら「どうだった?何が一番カルチャーショックだった?」と聞いてみた。土曜日に連れて行った浅草寺についての感想かなあ~?たくさん物色した化粧品かなあ~?日本の洋食屋さんについてかなあ~?おいしいもんなあ~と思っていたらなんとコンビニが便利すぎることについてかなり驚いたようだった。曰く、「コンビニに何でもあるじゃんか!」とのこと。確かに。最近なんかワイシャツでもあるもんなあ。

タイにはCPグループや、サハグループがセブンイレブンやローソンと現地合弁を出しており、バンコク中心地のいたるところでセブンイレブンが見られる。セブンイレブンのことを「セブン!セブン!」と言っており、コンビニのことをもはやタイ人は「セブン!」と言っている。だからタイ人に「そこのセブンにいってこいよ」と言われてそこらじゅうをセブンイレブンを探したが見つからず、あきらめて近くのファミマに入って帰って「なあ、セブンイレブンなんかなかったよ」といったところ「え?あそこにセブンのファミマあんじゃん」というわけのわからない言葉を返されたことがある。まじかカンボジアのアジノモトみたいになってんじゃん。閑話休題

 

で、まあ日本のコンビニの何が一番すごいって品物がめちゃめちゃ多くて、食品の数、スペースだけではなく、種類が非常にたくさんあるというところだ。日本のコンビニは、1列の棚にポテトチップス(いろいろなメーカーのいろいろな味のものがずらーっと)とその他スナック菓子、チョコレート菓子、グミ、様々なものがたくさん並んでいる。さらにその後ろの棚には様々な種類のサバ缶、マヨネーズなどのソース類(いろいろな種類!!)、塩なら塩で博多の塩やらおしゃれな岩塩やらもう塩にそんなにこだわるのか!?というほどの塩、塩だけじゃなくていろんな調味料!もうありとあらゆる食品があり、なんならたまには野菜までおいていて、野菜の隣には魅惑のスイーツ生菓子プリンゼリーコーナー!もうこのあたりで私の籠は一杯になってしまう。お会計に行くと4000円くらいに。

しかしタイのコンビニは違う。タイのコンビニは右から左まですべて同じ種類のポテトチップス(特定のメーカー・特定の味)が売り場を占拠しており、下を見れば、あれ?これサイズが違うだけやん、というポテトチップスの独占状態となっている。味はエキセントリックなものは特になく、しおあじ、のり味、that's all。つら。生菓子コーナーは最近ローソンがやる気を出しているが、それでもセブンイレブンの店舗数には全く及ばず、セブンイレブンではようやく最近ロールケーキ的なあの例のお菓子が出ただけで、それしかない。プリン?なにそれおいしいのにぃいいいいいいいいい!!!!

 

そんなコンビニ貧弱国で育った我がタイスタッフは日本のコンビニに行ってびっくりしたようだ。なんだこの品数は!なんだこの品数は!じゃないよおタイのコンビニがしょぼすぎるよお。

(まあ実は食品流通問屋がタイでは無いから個別購入するしかないこの国の流通システムが悪いんだよね。それは交通インフラがまだまだなためぶっちゃけ少し難易度が高い・・・という俺のお父さんのコメント)

 

向き合うということ

電話形式で2社の面接を受けて、1社は次の面接をこちらから辞退、もう1社は次のステージに通ったものの、自分に対しての採用の熱はそこまで高くない様子が見て取れる状態。

面接で聞かれる内容は大体は「今までの職務経歴→ここから掘り下げて苦労したことなど」「これからのキャリア形成の方向性」「転職活動の理由」だ。驚いたことに志望動機などは聞かれていない。そうだよな、そんな茶番みたいな内容は聞かないよな。

収入と、取り扱うサービス・製品に魅力が感じられ、求められるポジションで自分の目標とする成長ができると感じたという以外に、その会社が良いだなんて思っていない。馬鹿みたいにウソをつかせないあたりに好感が持てる。どうせ求職者も数社受けていて範囲で書類を出して、帰ってきたところで受けているんだから。

 

今日は向き合うということの大切さと難しさを書こうと思う。

 

向き合わなければならないことは、あえて「向き合う」と書くくらいなのだから「向き合うのが難しいこと」だったり「向き合いたくないこと」だったりする。過去の性被害だったり、イジメで辛かったことだったり、そして自分の欠点だったりする。その向き合いたくないこと、向き合うことが難しいことと本当の意味で向き合うことが出来たとき、自分の心に他人を迎え入れることが出来るようになるのだと思う。

 

私は中学生のころイジメられていた。その当時のあだ名「ストーカー」という言葉を言われたり、書いたりすることに抵抗がある。今だってそうだ、自分はストーカーと呼ばれていたんだということを書くことに抵抗がある。だってストーカーだ。相当危険なヤツじゃないか。でもこの言葉をよく観察してみよう。気付くだろう。あれ?ストーカー? 違うよね。俺、確かにある女の子の家までついていったことがあるけれど、それって別にその子が好きとかじゃないし、興味があったとかではない。家についていきたかっただけだ。もしかしたら洗濯物のパンツが見たかったのかもしれない。でもそれは単なる性欲で、変態的な欲求で、まったくもってその女の子には興味はなかった。単にパンツに興味があったのかもしれない。だから本来呼ばれるなら「ストーカー」ではなくて「パンツ」と呼ばれるべきだったのだ。「ストーカー」という言葉が出始めたときだったので、当時の中学生たちには最先端の言葉を使って被害者の女の子を擁護する意味も込めて私を攻撃した。集団で。教室の後ろの方から私に対するヒソヒソ声が聞こえてきたり、いままであだ名で呼んできていた女の子が私を名字で呼んできたり。そして大きな声で誰かが私を言うんだ。ストーカーと。それは誰の事か最初分らなかった。でもだんだんとわかる。ああ、これは私の事だ。私はストーカーとしてみんなに認知されたんだ。後を尾行したのも正直バカみたいな遊びのつもりだった。私はこの女の子の家を特定したという話で、エロい話を特定の友達としたかった。注目を浴びたかった。エロいことに興味が絶えなかったお年頃。とっておきの話題を友人に話したかった。そして話したんだ。でもその友達と思っていた彼はみんなに言いふらす方が面白いと思ったらしく、私は一気にストーカーになった。その結果今でもストーカーという言葉がニュースから出てきたりすると嫌な気持ちになる。とにかく私はこのストーカーという自分に向けられた言葉の正義感に嫌な気持ちにさせられた。その後の人生で20年近くも自分がつらかったと思いたくないくらい辛かった。

自分の辛かった、嫌だった、そして悲しかったという気持ちは、ちゃんと向かい合ってあげないと別の形で出てくる。この気持ちに向かい合えなかったとき、自分の心はかなりアンバランスだった。

 

私はこのストーカーという言葉での迫害で思ったことは「人にバカにされるのは自分が弱いからだ。」ということだ。

 

何をされるのも自分が弱いから悪いんだ。

今日机を一人だけ端の方に離されたのも自分が弱いから悪い。

教室に入ったら私の机に「ストーカー」という張り紙がしてあったり、

みんながキモイと言ったり、窓からベランダに締め出したり、ヒソヒソ話していたり、嘲笑してきたり、そういうことはすべて俺が弱いから、バカだから悪いんだ。

だから強かったら何をしてもいいんだ。俺は強くなろうと思った。この憎い人たちに仕返ししてやりたいと思った。何年かかっても崖から落ちそうな彼らの手を憎しみを込めて踏みにじって蹴落としてやろうと思ったんだ。

私はつらかったという思いよりも、自分が悪いと思った。

だから甘ったれたいじめられている人を見ても何の感情もわかなかった。

「ぷぷぷ、ダッサー!いじめられてやんの~弱いからだよ~」と。

 

自分が弱かったのも悪いし、誰かが弱いのも悪い。強くないといけない。生きる価値もないほどに。

 

私はある日結婚したのだ。それも自分よりも圧倒的に体の弱い人と結婚した。

その人は自分よりも圧倒的に体が弱く、弱肉強食の世界では最も先に死ぬだろう存在なのに、自分よりも心が強いと思った。

その人は私の弱肉強食の話を聞いて、悲痛な顔をしながら、まるで辛かった過去の話を聞いたみたいに、つらかったねと言った。

その瞬間私は自分が本当につらかったんだと思った。辛かった。学校にいけないくらいつらかった。

中学校に行くのがつらくなるだなんて今まで一切思ったことがなかったのに、私はあの時からもう学校にいけないと思ってしまうくらいつらかった。死にたいとさえ思った。でも死にたくない、学校に行きたいと思った。だって私が死んだら、あいつらのせいで死ぬみたいじゃないか。あいつらのせいで私が学校に行かないみたいじゃないか。許せなかった。そういう自分になるのは嫌だった。それなら彼らとずっと一緒にいて、自分がいることによって不快な気持ちになってもらおうと思った。だから学校に行って、そしてたびたび授業中にもめ事を起こした。教師からは疎まれた。教師からだけじゃない、生徒からも疎まれた。私はみんなの敵だった。ヤンキーだなんてモノじゃなかった。反社会者だった。みんなを不快にさせるために生きようと思っているのだから。

そんな形でも私は今、生きていてよかったと思う。

つらかった過去をつらかったと受け入れることが出来るようになってきた20年後のいま、私はあの当時、反骨心から生きて、勉強して、体を鍛えたお陰で、心のきれいな女の人と結婚して、海外駐在員としてソコソコのお金をもらいながら生活をして、私の人生はとても良いものになっている。

だから当時の彼らも私は許せる。

彼らが作った私は紆余曲折を経て、今、幸せなんだから

 

転職活動期3(遠くを見て考える・近くに答えがある)

遠くの方を見る。まだビルが建っていない遠くの方の景色を。その向こうの方にもたくさんのビルがある。

もし人生の目的が定まっているのであれば私はどのビルに向かって走っていけばいいのか簡単に想像がつくはずだった。でも人生の目的が定まっていない私にはどのビルも同じような形に見えて、今より待遇はよくなるかもしれないが、何かの不満が私をまた同じように仕事に無気力な状態に変えてしまうのではないかと心配になってしまう。

私の生き方は人の信頼を大切にすることだ。でもその生き方の先にどういった目的を持っているのか私にはわからない。目的というのは到達地点で、人の信頼を大切にするという方法は手段である。

 

あまりに答えがなかったので妻に相談してみた。

妻曰く「別になんでもいいから世の中(相手)にまだ知られていない”良い”と思うものを広めたいんじゃないの?」ということだった。いくら考えても腹落ちしなかった私の中にストンと入ってくる素晴らしいワードだった。

 

そう、別になんでもいいのだ。なんでもいいんだけど、自分が心底「いいな」と思えるものを広めたいんだ。私が今、例えば本社からの指示で拡販しなければいけない製品があったとして、その製品を売ることが出来ないのは、その製品が本当はよくないかもしれない(という噂がある)からだ。別の製品でも耐久消費財の耐久性が上がるという製品があるが、その製品も実はあまり効果がない(少なくとも他社よりも悪い)という話があるのだ。そういう一連の流れが「あーうちの製品は微妙だなあ」という気持ちにさせてきて・・・。

僕は良い(もの・こと)を売りたいんだ。それに熱狂できるほど良かったら私はそれを必死になって売ってくるくらいのエネルギーがあるのだ。

 

私の人生の目的は良いと思えるものを人に新しく紹介して売って、そして感謝されて、信頼関係を築くことなんだ。

 

 

人の信頼を大切にして、人が人を信じられているという状況をたくさん見たいと思う。

「製品を売ること」で人の信頼を買ってそしてそれを使ってまた新しい価値を買い手と作っていくことをしたい。

 

転職日記2(アプトプットにより意思を固める)

転職をしたことがない人は知らない。自分の会社のどういったポイントが異常なのか。

契約を交わしている以上、常識であるが契約を履行する必要がある。しかし私の勤務している会社には常識がないみたいだ。

 

私の勤務する会社は広大な敷地に工場を持っているが、その工場に毎年現地スタッフを連れていく。そのたびに「あ、またレイアウト変わっている」ということを思う。そうなのである。弊社はレイアウトを変えたり、製造設備を変えたり、なんなら全自動化したりなど先進的な変更を行っているが、実はそれらを顧客に通知したことはない。もし契約を取り交わしていたとしてもだ。

顧客に通知するのはパッケージングだったり、バレるところだけである。このことに気づいた時には「あれ?自分の勘違いかな」とさえ思った。しかし今年も工場の工程は変わっていた。へえ!なるほど!全自動で製造!?すごい!ところでそれお客さんに通知しましたっけ?へー知らなかったなあ!!お?生産管理にAI取り入れているんですかー!すごいですね~(転職しよ・・・)

最近考えていたことの一つに「生きる目的」というものがある。要は自分が死ぬときに「これのために生きたな」というようなことを思ったりする目的物である。私にはこういったものはなかった。なんとなく目の前の仕事を処理して、世間の常識なんかにのっとって行動してきた。

でも「そうではいけないのだ」と思ったのは今の会社に疑問を持ち始めてからだ。

まず同期のホープが辞めた。後輩が辞めた。先輩が辞めた。一緒に仕事をした他部門の課長、係長が辞めた。みんなに辞めた理由を聞いたわけではない。でもわかる、うちの会社は従業員を大切にしているなんて言うけど、大切にされていないんだって。みんな家畜みたいなものだ。なあなあで仕事をさせてもらえる代わりに生きている間の大事な時間を無限にうばわれて、自分が成長できないことを他人のせいにして、会社の待遇や体質に文句を垂れるくせに辞めたりしない、だから会社からの報酬自体もなあなあのままで何も変わらない。まるで飼い主から毎日餌をもらって死ぬだけの存在。そんなままで歳を取るのかと考えるとゾっとする。僕らは家畜だからごちゃごちゃ小難しいことを考える必要もない。鳴けば餌を与えられる。私の場合は突然給料が4万円増えた。マジかと思った。周りの人に聞いても「え?お前だけ?」と言われる。なんとなく特別扱いされている気がした。でも転職活動を始めて気が付いてしまった。4万円上がったところで私の年収は私の経歴でもらえる額の100万ほど低かった。これには私もびっくりした。

この世間から比べても100万低い私の年収が、私が家畜で居続けることを選択することへの罰であるかと言われれば、そうだなと私は思う。この100万低い額は私が甘んじているからこそであり、これは私を転職から逃げ場のないものへと突き動かす客観的な材料だった。

主観的な材料としては私の生きる目的探しである。私は何のために死ぬのか。60歳を過ぎた父が定年後の再雇用制度で働きつつ日中はダラダラと過ごしている姿を見ると、こんな大人にはなるべきではない(というかつまらない)と思った。

私は自分とは全く正反対の性格である妻と付き合いだして、結婚して、そして一緒に生きるようになって沢山の面で変わることができた。

変わることが出来るというのは変わった後に自分を褒めることができるほどに素晴らしいものだ。変わった後にしかわからないけれど、自分は愚かだったということが分るようになったのだ。例えば登山に例えられるかもしれない。山というのは上るまでは自分が一体どの程度の高さにいて、どういう山を登っているのかさえも分からない。でも上りたいと思うんだ。なぜかわからないけど。上った後に自分の今まで居たところを見たり、道のりを思い返してみる。そして周りにあるもっと高い山を見る。上らないとわからない景色だったことを知る。自分が変わるというのはそういうことに近い気がする。

私は何のために生きているのか、そして何のために死ぬのか。半年ほど考えているけれど今の自分にはわからないということがなんとなくわかった。だけど、生き方だけは分かってきた。

私は人に対して誠実でありたい。ウソを言いたくない。偽りたくないのだ。人に感謝されるだけではなくて生涯を通して信頼しあえる人でありたい。「あの人だったら」と全幅の信頼を寄せられるような存在になりたい。

自分の生き方と照らして今の会社はどうだろう。どんなに仲の良い顧客が居ようと、どんなによっぱらっていようと、私には会社のために言えないことが山ほどある。これはつらいことなんだ。「いいですよ値段下げますよ!」なんていうもんじゃない。工程上のウソなんて驚くべきことだ。みんなの命を預かっているのにも関わらずである。

 

いろんな不満がある。顧客にウソを恒常的についていること、収入が低いこと、コンプライアンス上の問題。でも結局変えないのだったら自分が変わるしかない。

転職日記1(前準備)

転職するにあたって一番最初に相談を持ち掛けるべきは、カウンセラーでも、Google検索でも、両親でもない。家族だ。

もし結婚しているのなら妻に一番最初に相談すべきだ。

 

この時気をつけておかなければいけないマインドセット

「転職することに決めたから!」

ということを主張することではなくて、あくまで自分の気持ちを相談し、どうして今の仕事は嫌なのか(勤務し続けられないのか)という話を、主に感情面で「共感してもらう」ことに話の目的を据えるべきである。

ネットメディアでも出ていたが「嫁ブロック」という表現。

これはキャリアコーディネーターが使用している言葉で、転職先から内定が出たにも関わらず家族からの理解が得られなかったということが原因で案件がつぶれてしまう状況を指している。

また、転職というものは家に帰ってからや、仕事の合間の時間に活動するものだ。

当然家に帰ってからの嫁との会話などは少し少なくなる。

 

それらの理解を得るためにもまずは自分の家族に相談し、現職に対する不満や将来に対する共感をしてもらい、家族からのバックアップをもって転職活動に臨むことがよい。

 

私はこのステップに2か月の時間をかけ完了したので早速転職活動を行うこととなった。

女性Yさんの婚活

この間日本に出張した際に本社の休憩室でYさんと会った。

Yさんは35歳前後で未婚、おたふくみたいな顔をしていて、それから化粧をほとんどしておらず、少しハゲている女性だ。

私が連れていたタイスタッフに自動販売機で何か飲み物をオゴろうと説明していたところにYさんは通りかかり、「あ!もしかして今タイ語を話していましたか!?」などと話しかけてきた。

午後の予定も押していたので、とくに何事も話すつもりもなかった私は適当に挨拶を交わし、その場を後にした。私がタイ語を話していたことについて「すごいですね!」と言いたかったらしいのだけれど、正直ぜんぜん話せないので褒められても微妙な気持ちである。(人は自分の能力を正当に評価されたうえで褒めてほしい)

 

その翌日の土曜日、本社側の担当窓口の女性(D先輩)と一緒にタイ人の観光案内をしていた際に、D先輩はYさんと仲が良いが心配なことがあるのだと言ってきた。

それはズバリYさんが結婚できないことである。

以前、Yさんは結婚相談所に登録し、出会った男性がいる。その際出会った男性は日本を代表する総合商社に勤務しており、コミュニケーションにも問題がないような男性だったらしい。それだけならなんていう理想的な存在なのか!と言いたくなるのだが、ただ一つ問題があり「容姿が極めて悪い」ということだった。つまり金はあるがデブでハゲだったらしい。それ以外にもNGとした理由として「僕には収入がたくさんあるので仕事はしなくてもいいです」と言ってきたこともあるらしい。

Yさん曰く「仕事をしている私を好きになってほしい!」と言っているらしく、そんな、おみあい程度で仕事をしている姿なんて見えないし、そういった条件の折り合わない部分やデブは話し合いでなんとかしようがあるので、とりあえず内面が合わないというのでなければ付き合ってみれば?とDさんは思ったそうだが(私も同感だが)、結局のところお断り案件となったそうな。

また、別の日にはYさんは会社の後輩とプライベートな話をした際にどうやらその後輩はYさんに対して個人的な関心を持っていると勘違いしたそうで、Yさんはその後輩を食事に誘ったりなど精力的な活動をした結果、その後輩は残像を見せるほどの速度でフェードアウトしていったそうだ。

そういったもろもろの報われない状況を背景にして、D先輩は私に男性側の率直な意見を求めてきた。婚活市場では男性から好意を受ける基準は何なのか。誠実さをモットーとしている私は瞬間的に正直に答えた。「若さと顔でしょ」と。

「それでは」と、D先輩は「26歳の容姿が普通の女性と、33歳の容姿が優れた女性はどちらが婚活市場ではモテるか」という質問をしてきた。これは男性側が何を重要に思うかによると思われるが、基本的にこれは婚活のシステムの問題だ。婚活のシステムではいろいろな条件でソートすることができる。まずは年齢で男性側がソートするとき「29歳以下」という条件があるとしたら33歳の女性はどんなに容姿が優れていようと写真を見られることはないので、残念ながら件数としては26歳の女性の方が増えるだろう。そして若さというのはそれだけで基本的には美しい。結果別にふつうの容姿だとしても年齢的に若いのであれば若いだけですでに強い。大体の男性はふつうの容姿の女性はOKだ。

 

結局のところ30中盤になった女性はなかなか年収も高いし、相手に求めるSpecも年齢の分だけ高くなる。なぜなら社会経験が豊富だから。でもそれだけの社会経験をもった男性は大体結婚している。女性側が結婚していない男性だけをn数にして、その平均値をとって、平均的な能力を見ればいいものを、実際には結婚している男性もn数に入れてしまうから(結婚すると女性に対する気遣いのスキルが上昇する。毎日家で女性と過ごしているからね)平均値が全く世の未婚男性のソレとは乖離している。

Yさんもそのあたりのことが見えていないから求めるレベルは非常に高いものとなってしまう。よく考えろ、あなたが「いいな」と思った男性は大体既婚者か年下ですぐにでも結婚できる常識のある男性だぞ。

 

D先輩がYさんと話していたらYさんは「アイススケートの羽生君みたいな人がいい!」だとか言っているらしい。うんうん。かっこいいですよね羽生さん。だって手足が長いし色白で王子様みたいですよね。ただ、私は心の中で「いやでもその容姿じゃ無理でしょ」と思い、D先輩も女性なので私も答えに窮していたところD先輩が「私は鏡を見ろと言いたい!」と先に熱弁してくれて助かった。でも私には根本的には顔の問題だけではないと思うとコメントしていおいた。

実は女性の顔というのは大体の人がかわいい。だいたいの人は精神状態が悪かったり、表情が暗かったりなどするので実際の顔よりも悪くなっている。私が実は家に帰ってからグチばかり言っていることを変えたいと思い職を変えることの理由としては顔が悪くなるということも原因の一つだ。そのくらい使う言葉や気持ちなどで顔は変わる。むくむし、口角が下がる。

 

男性は女性の顔の何に魅力を感じるかと言えば実は天真爛漫さだといわれている。私もできれば天真爛漫な女性と一緒にいたいと思う。そして賢い女性は天真爛漫さを装う術を持っている。もしYさんが結婚したい、男性から魅力的だと思ってほしいということであれば、仕事がデキるだなんて自己肯定感の一部にするのではなく、相手の需要を読み取って自分に足りないところを補う、変化させるくらいのことをしてはどうなのかと思う。