32歳になる人の日記

株。駐在員苦労話。外資企業への転職、ままならない子供時代の思い出

向き合うということ

電話形式で2社の面接を受けて、1社は次の面接をこちらから辞退、もう1社は次のステージに通ったものの、自分に対しての採用の熱はそこまで高くない様子が見て取れる状態。

面接で聞かれる内容は大体は「今までの職務経歴→ここから掘り下げて苦労したことなど」「これからのキャリア形成の方向性」「転職活動の理由」だ。驚いたことに志望動機などは聞かれていない。そうだよな、そんな茶番みたいな内容は聞かないよな。

収入と、取り扱うサービス・製品に魅力が感じられ、求められるポジションで自分の目標とする成長ができると感じたという以外に、その会社が良いだなんて思っていない。馬鹿みたいにウソをつかせないあたりに好感が持てる。どうせ求職者も数社受けていて範囲で書類を出して、帰ってきたところで受けているんだから。

 

今日は向き合うということの大切さと難しさを書こうと思う。

 

向き合わなければならないことは、あえて「向き合う」と書くくらいなのだから「向き合うのが難しいこと」だったり「向き合いたくないこと」だったりする。過去の性被害だったり、イジメで辛かったことだったり、そして自分の欠点だったりする。その向き合いたくないこと、向き合うことが難しいことと本当の意味で向き合うことが出来たとき、自分の心に他人を迎え入れることが出来るようになるのだと思う。

 

私は中学生のころイジメられていた。その当時のあだ名「ストーカー」という言葉を言われたり、書いたりすることに抵抗がある。今だってそうだ、自分はストーカーと呼ばれていたんだということを書くことに抵抗がある。だってストーカーだ。相当危険なヤツじゃないか。でもこの言葉をよく観察してみよう。気付くだろう。あれ?ストーカー? 違うよね。俺、確かにある女の子の家までついていったことがあるけれど、それって別にその子が好きとかじゃないし、興味があったとかではない。家についていきたかっただけだ。もしかしたら洗濯物のパンツが見たかったのかもしれない。でもそれは単なる性欲で、変態的な欲求で、まったくもってその女の子には興味はなかった。単にパンツに興味があったのかもしれない。だから本来呼ばれるなら「ストーカー」ではなくて「パンツ」と呼ばれるべきだったのだ。「ストーカー」という言葉が出始めたときだったので、当時の中学生たちには最先端の言葉を使って被害者の女の子を擁護する意味も込めて私を攻撃した。集団で。教室の後ろの方から私に対するヒソヒソ声が聞こえてきたり、いままであだ名で呼んできていた女の子が私を名字で呼んできたり。そして大きな声で誰かが私を言うんだ。ストーカーと。それは誰の事か最初分らなかった。でもだんだんとわかる。ああ、これは私の事だ。私はストーカーとしてみんなに認知されたんだ。後を尾行したのも正直バカみたいな遊びのつもりだった。私はこの女の子の家を特定したという話で、エロい話を特定の友達としたかった。注目を浴びたかった。エロいことに興味が絶えなかったお年頃。とっておきの話題を友人に話したかった。そして話したんだ。でもその友達と思っていた彼はみんなに言いふらす方が面白いと思ったらしく、私は一気にストーカーになった。その結果今でもストーカーという言葉がニュースから出てきたりすると嫌な気持ちになる。とにかく私はこのストーカーという自分に向けられた言葉の正義感に嫌な気持ちにさせられた。その後の人生で20年近くも自分がつらかったと思いたくないくらい辛かった。

自分の辛かった、嫌だった、そして悲しかったという気持ちは、ちゃんと向かい合ってあげないと別の形で出てくる。この気持ちに向かい合えなかったとき、自分の心はかなりアンバランスだった。

 

私はこのストーカーという言葉での迫害で思ったことは「人にバカにされるのは自分が弱いからだ。」ということだ。

 

何をされるのも自分が弱いから悪いんだ。

今日机を一人だけ端の方に離されたのも自分が弱いから悪い。

教室に入ったら私の机に「ストーカー」という張り紙がしてあったり、

みんながキモイと言ったり、窓からベランダに締め出したり、ヒソヒソ話していたり、嘲笑してきたり、そういうことはすべて俺が弱いから、バカだから悪いんだ。

だから強かったら何をしてもいいんだ。俺は強くなろうと思った。この憎い人たちに仕返ししてやりたいと思った。何年かかっても崖から落ちそうな彼らの手を憎しみを込めて踏みにじって蹴落としてやろうと思ったんだ。

私はつらかったという思いよりも、自分が悪いと思った。

だから甘ったれたいじめられている人を見ても何の感情もわかなかった。

「ぷぷぷ、ダッサー!いじめられてやんの~弱いからだよ~」と。

 

自分が弱かったのも悪いし、誰かが弱いのも悪い。強くないといけない。生きる価値もないほどに。

 

私はある日結婚したのだ。それも自分よりも圧倒的に体の弱い人と結婚した。

その人は自分よりも圧倒的に体が弱く、弱肉強食の世界では最も先に死ぬだろう存在なのに、自分よりも心が強いと思った。

その人は私の弱肉強食の話を聞いて、悲痛な顔をしながら、まるで辛かった過去の話を聞いたみたいに、つらかったねと言った。

その瞬間私は自分が本当につらかったんだと思った。辛かった。学校にいけないくらいつらかった。

中学校に行くのがつらくなるだなんて今まで一切思ったことがなかったのに、私はあの時からもう学校にいけないと思ってしまうくらいつらかった。死にたいとさえ思った。でも死にたくない、学校に行きたいと思った。だって私が死んだら、あいつらのせいで死ぬみたいじゃないか。あいつらのせいで私が学校に行かないみたいじゃないか。許せなかった。そういう自分になるのは嫌だった。それなら彼らとずっと一緒にいて、自分がいることによって不快な気持ちになってもらおうと思った。だから学校に行って、そしてたびたび授業中にもめ事を起こした。教師からは疎まれた。教師からだけじゃない、生徒からも疎まれた。私はみんなの敵だった。ヤンキーだなんてモノじゃなかった。反社会者だった。みんなを不快にさせるために生きようと思っているのだから。

そんな形でも私は今、生きていてよかったと思う。

つらかった過去をつらかったと受け入れることが出来るようになってきた20年後のいま、私はあの当時、反骨心から生きて、勉強して、体を鍛えたお陰で、心のきれいな女の人と結婚して、海外駐在員としてソコソコのお金をもらいながら生活をして、私の人生はとても良いものになっている。

だから当時の彼らも私は許せる。

彼らが作った私は紆余曲折を経て、今、幸せなんだから